ジレンマ
普段使う言葉に地味なこだわりがある。
例えば、デパートではなく百貨店と言う。
スニーカーではなく運動靴と言う。
自販機ではなく自動販売機と言う。
深い意味はなくて、単なる響きの問題。自分が好きか、好きでないか。
そして、言葉は正しく使いたいと思っている。
違和感を感じるではなくおぼえる。
すべからく~~である、ではなく、すべからく~~べきである。(すべからくは陳述の副詞)
そういう地味なこだわりの一つに「ものさし」がある。
私は定規という響きが好きでははなくて、いつもものさしと呼んでいた。
ところがある日、定規とものさしの違いを知ってしまったのだ。
直線を引くために使うものが、定規。
長さを測るために使うものが、ものさし。
ものさしは、目盛りが端から始まっていて、目盛りに誤差がでないよう伸縮しにくい素材で作られている。
ステンレスとか、竹尺とか。
定規は目盛りが端から始まっておらず、5ミリくらい空けたところから始まっている。
私が日頃ものさしと呼んでいたもののほとんどは、素材も形状も、そして私自身の使用目的も、定規だった。
正しく言葉を使いたければ定規と呼ぶべきである。
しかし私自身の好みとして、あれを定規ではなくものさしと呼びたいのである。
そんな地味すぎるジレンマに実はもう1年以上悩まされている。
例えば、デパートではなく百貨店と言う。
スニーカーではなく運動靴と言う。
自販機ではなく自動販売機と言う。
深い意味はなくて、単なる響きの問題。自分が好きか、好きでないか。
そして、言葉は正しく使いたいと思っている。
違和感を感じるではなくおぼえる。
すべからく~~である、ではなく、すべからく~~べきである。(すべからくは陳述の副詞)
そういう地味なこだわりの一つに「ものさし」がある。
私は定規という響きが好きでははなくて、いつもものさしと呼んでいた。
ところがある日、定規とものさしの違いを知ってしまったのだ。
直線を引くために使うものが、定規。
長さを測るために使うものが、ものさし。
ものさしは、目盛りが端から始まっていて、目盛りに誤差がでないよう伸縮しにくい素材で作られている。
ステンレスとか、竹尺とか。
定規は目盛りが端から始まっておらず、5ミリくらい空けたところから始まっている。
私が日頃ものさしと呼んでいたもののほとんどは、素材も形状も、そして私自身の使用目的も、定規だった。
正しく言葉を使いたければ定規と呼ぶべきである。
しかし私自身の好みとして、あれを定規ではなくものさしと呼びたいのである。
そんな地味すぎるジレンマに実はもう1年以上悩まされている。